MEMO

東京オリンピック、始まってますね。せっかくなので1度くらいはミライトワとソメイティを生で見たいなと思っていたんですが、コロナも落ち着くどころかすごいことになっているので、外に出ない方がよさそうですね。6月はうろちょろしてましたが、7月は本当にじっとしていました。

さて。オリンピックと言えば……、というつなぎ方でいいんでしょうか。もう半月前のことになるんですかね。ミュージシャンの小山田圭吾さんがオリンピック開会式に作曲担当として参加することが発表されると、過去の雑誌での発言について大批判を浴び、最終的に辞任するという騒動がありました。

小山田圭吾、過去のいじめ加害について謝罪(ナタリー 2021.7.16)
小山田圭吾、東京2020オリンピック開会式作曲担当を辞任「様々な方への配慮に欠けていた」(ナタリー 2021.7.19)

まず、なぜこの件についてここで触れようと思ったのかを説明すると、僕がいちばん好きなミュージシャンが小山田圭吾さんなんですね。好きなミュージシャンはいっぱいいますが、「いちばん」と断言して言えるのは小山田さん以外にいないのです。

はじめて行ったライブはCorneliusのPOINTツアーですし、よく考えたらはじめて買った"シングル"もCorneliusの「MOON WALK」でした。改めて過去の自分がどのくらいネット上で小山田さんのことについて言及していたか確認してみたところ、このサイト上では36回、Twitter上では25回触れていました。

そんな「いちばん」な人が、ネットで、テレビで、新聞の一面で。ありとあらゆる人から批判されているのを見るのは、なかなかに堪えるものがありました。「自業自得」という言葉をいちばん見た気がします。本当にその通りだと思います。

小山田さんの問題は重層的な構造になっていて、大きく分けると以下の3つになります。

1.学生時代に障害を持つクラスメイトなどに加虐行為を行う
2.ミュージシャンとしてデビュー後、雑誌でそのことを反省無くおもしろおかしく語る
3.その後、今回の件に至るまで何の見解も発表してこなかった

1番の内容が口にも出せないようなひどいものなんですが、この問題の特殊さは2番にあると思います。なぜこんなことを悪びれることなく語るような人が普通にミュージシャンとして活動できているのか、という点が、今回の件で小山田さんのことを知った方にとってはいちばんの疑問だったのではないかと思います。

なぜこのことを知っていた音楽業界やファンの人はこれを放置していたのかと。

僕も当然、このインタビューのことは知っていました。雑誌の発売時期は本格的にファンになる前だったので、リアルタイムでは知らなかったのですが、2000年代前半にネット掲示板への書き込みで知ることになります。その後、問題となっていた雑誌の1つである『Quick Japan Vol.3』は古本で購入し、現在も所有しています。この本、いつ頃購入したのか思い出せずにいたら、なんとこのサイトに記述がありました。このページの2003年12月12日のところにブックオフで買ったとあります。当時は日記的に何でも書いていたというのもありますが、1ファンとしてこの問題を認識したことを残しておきたかったんだと思います。

今回の騒動で、過去にこの記事を知ったことでファンを辞めた人が多くいることも改めて知りました。本人の人格と音楽は別モノと割り切って聴いているという人もいるようでした。

僕はこの問題を知ってもなお、ファンを続けるという選択をした方の1人です。しかも、小山田さん本人に対しても、今なお、憧れのような気持ちを持ってさえいるのです。この感情をどうにか説明しようとしたのですが、どうしてもできませんでした。自分でもなぜなのか分からないので……。問題を小さく捉えていると思われても仕方ないのかもしれません。

小山田さんが、外部のアーティストや作品、企業等とコラボレーションする度に、ちょっと不安にはなってはいました。いつか、このことがすごい問題になって、大炎上するのではないかと。ただ、ここまでのことになるとは夢にも思っていませんでした。

小山田さんはもう以前のようには活動できないんだと思います。今小山田さんに対して思うのは、頭のいい人が書いた謝罪文だけで終わりにして、ほとぼりを冷ますのを待つのではなく、いつか自分の言葉で、行動でちゃんと示してほしいと、それだけを願っています。