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これは「ファミ通64+」が当時やってた巻頭インタビューページに
2号に渡って掲載されたものの前編です。
MOTHERのことだけじゃなくて、いろんなことを話しています。

「遊び」についての糸井さんの考え方が披露されています。













――糸井さんって、「座敷童みたいな人だなぁ~」って思うんです。

糸井 どこにでもいる(笑)?

――「あ、糸井さんがいる!!」って気づくと必ずそこが栄えてるみたいな。

糸井 はぁー。仙台に”仙台四郎”っていますよね。あれですね(笑)。

――仙台四郎もなんか不思議な存在ですよね。

糸井 こういうコが生きてるっていうことで、豊かさを感じさせるっていうのが仙台四郎だし。まぁ、ボクなんかも生活必需品とか生産してないし……。

――(笑)。

糸井 でもいわゆる生活に役に立つものを作っているヒトしかいない社会ってホントに豊かなのかなぁ、と思うんですよね。その意味で、アーティストとかクリエイターとか芸人さんだとか、生産しない人がちゃんと生きていられるっていうのは、非常に重要な豊かさの指針だと思うんです。実際日本では65パーセントの人がすでに第3次産業ですからね。ボクとおなじ。ホントは日本中がボクなんですよ。ほとんど第3次産業にたよって日本の近代はまかなわれているのに、いまだに昔の農業と工業の時代の幻想でシステムができている。そこでボクみたいなのが遊んでるように見えちゃうのは、ホントはもう古いんだと思うんです。ホントはみんあオレなんだよって言いたいんだけれど、それはダメなんでしょうね。こう、信仰が違うんでしょうね。宗教心というか。

――信仰ですか。

糸井 うーん、額に汗してなんかするっていう、ガマン料がギャラだと思っている人が、いまだに多いんでしょうね。「オレを一発殴ったら1000円」みたいな。そういう痛い目にあったからとか、なんかガマンしたから生活できるんだっていう発想になっちゃってる。それじゃぁ、なんで生まれてきたんだよってコトになっちゃいますよね。誰だって、もちろんボクも含めて努力しているわけですよ。でもね、それを前に出しちゃうと価値なんてなにも変わんないんで、できるだけ遊んでいるようにしていますね。ただ遊ぶっていうのは普通にルーティンな仕事しているよりは、ずっと身を削るものはあるから、「お前に同じことができるかよ」って正直思うし。なかなか理解されないかもしれないですね。

――最近ですと『ほぼ日』が一周年でしたよね。インターネット自体はそのずっと前からあったんですけれど、糸井さんがホームページを始めたなと思ったら、高校生以下の年代の人たちもやるようになったり、世の中的にパーッと広がってきたなぁ、と。その前は、たとえばバス釣りなんかも、当然バス釣り好きな人はいっぱいいたはずなのに、「糸井さんがバス釣りにハマっているらしいよ」って言ったときに、どんどんどんどんスポットが当たっていったというのおまりますし。栄えているところには必ず糸井さんがいる。でも仕掛人って感じはしないんです。

糸井 仕掛けてるつもりはなくって、現実は本当はこうなっているんだよっていうのを明らかにする仕事をしているんじゃないかな。だから、ゼロからスタートしてなんかとんでもない価値観をみんなにバラ撒いている、ということはしてるつもりはないよね。「実際にこうなっているでしょう」ってのが。だからホントの意味では仕掛けていないんでしょうね。みんな仕掛人とか言うけど、それは無理なんですよ。ホントはねぇ。つねにこう、材料があるから火がついて燃えたりするわけで、バス釣りのときでも「オレはやってるんだー!!」って嬉しそうに言うと、いままでずぅーっと知っていた人が「じつはボクもやってたんですよ」って。「なんで黙ってたの? あんなにおもしろいのに」って思いますよねぇ。黙ってた理由がわからないんですよ。それを聞くと「恥ずかしかったから」って言いますよね。釣りすんのが恥ずかしいわけ?(笑)

――カミングアウトの対象だ。

糸井 そういうことなんですよねー。もっと大きい流れで言うと、ずいぶんまえにボクは「オナニーしてる」って言って、これはすっごく仕掛けましたよ(笑)。

――たしかに昔は言わなかったですね。そういうこと。

糸井 みんなしてないはずないじゃない。でもってセリフは決まってるんですよ。「そんなに不自由してねえ」って。

――(笑)。

糸井 絶対にみんなそれなりに不自由してるはずでしょ。だけど、「そんなに不自由してねえぜ」って言わないと、体面が保てないからってことで。だったら、楽しいオナニーを考えたほうがいいじゃないですか。「オレはこうやってる」とか「一番良かったのは」とか。あったりまえのことを言わないから、あっちこっちで、いっぱい手直ししなきゃなんないんですよね。根っこのとこで嘘ついちゃうと、チャートが壊れていくから。それを意識的に「不自由してねえよ」ってヤツの後ついていってどのくらい不自由しているか調べたいみたいな。ちょっと意地悪なんですけどね。

――(笑)。『誤釣生活』に、糸井さんは実際に釣りを始める前にすでに「釣りはおもしろい」と触れ回っていたという話が載っていてびっくりしたんです。ふつうの人だと物事に興味を持つ段階としては、まず自分で釣りなら釣りを知る。

糸井 はい。

――で自分が実際にやってみて釣りにハマって、最後に友だちとかを「行こうよ!!」ってそそのかして人をハメるっていうのが普通のパターンだと思うんです。そこをいきなりそそのかすところから始めるっていうところが、すごいなぁと。

糸井 それはね、わかってたんですよおもしろいって。おそらくゴルフにしても麻雀にしても大勢の人がやっているものって、くだらいないものはないんですよね、ホントに。そこはちゃんと尊敬しなきゃいけないんです。よくいますよね、大勢の人がおもしろがっていることを「くだらない」とか「低い」とかって言ってるヒトが。それって「おまえは何様なんだ」って感じですよね。どうしてもみんな”高さ”を言いたがるんですよ。高い低いがないとは言わないけどね、実際に一級と二級はあるし。だけど、それ全体を「やるべきじゃない」とか軽蔑したりするのは、間違っていますよね。

――釣りを始める前から”わかってたおもしろさ”っていうのは実際に行かれたときは……。

糸井
 案の定ですねー。しかも釣れないから、やっぱり、すごい揺り戻しきますよね。「ツライな~、でも、やりたいな~」みたいな。でもそれってどうやったら自分がおもしろく感じられるかってことで、もっと休み休みしたほうがいいんじゃないかとか、弁当に凝ったほうがいいんじゃないかとか、いろいろ考えるんだけど。でも、枝葉のところを改良してもダメなんですよね。釣りのおもしろさの根っこのとこがわかるまでは、本当のおもしろさは語れなかったんですよね。でもね、それでメシ食っている人(プロ)に会うと、急にわかるんですよね。大勢の人がやっているものがおもしろいというのと、ものすごく凝っているバカがひとりいるモノってやっぱりおもしろいっていうの、二重ですよね。両方がわかったときに、こう円錐形の構造が見えてくる。

――ものすごく凝っているバカがひとりいる(笑)。巨大なコメントですね。

糸井 うーん。おそらくね、痴漢でパンティー厚めしている人でもねー、おもしろいんですよきっとねー。みんなでやったらきっと、「おもしろいな」って言い合えるものだんだと思うんだけど、普通しないですよね。痴漢だってそう、悪いこともそうなんですよ。みんなギャング映画大好きなんですよ。ヤクザ映画にしても。ずーっとああいう人はいるし、映画館に人がいるってことは、本当は好きなんですよ。

――モノポリーとか釣りとか糸井さんがこれまでハマった遊びのなかで共通しているものってなんですか?

糸井 いつもゲーム性のあるものを追いかけているとは思いますね。だから、いまだに自分でも無趣味だと思っているんですよ。趣味って言えるものっていうのは、ないんですねぇー。釣りをするようになってやっと、「あえて言えば釣りですかね」って言えるようになったんですけれど、それまでは趣味ってつもりあんまりなくって。ボクの場合、たとえば学校の休み時間に仲のよい友だちとくだらないこと言い合っているのって楽しいじゃないですか。でもあれは趣味じゃないですよね。でもそれがしたくて学校行ってるっていうのもある。だけど、いちばん楽しいことだから一生懸命やってる。それがくり返されてきただけなんで、、ゲーム作りっていうのも、モノポリーなんかと同じように、すごい大きな遊びですよね。それだけやってるから経営ができないんですけれどねー。ホント経営者ってアタマ痛い。

――(笑)。

糸井 本田宗一郎みたいな人がさー、エンジンいじってさー、湯たんぽのガソリンタンクでね、オートバイ作ったときに、確かに仕事にしようと思ったとも思うんだけれど、根っこにあるのは「こりゃいいぞ~!!」みたいな感じでしょう。で会社にしていく道をもうひとりの人が持ってて、それでああいう会社になったわけですよね。逆に言うと、ソニーみたいなところは会社作ろうと思ってエリート集めた会社だから、”オレらエリート”な感じがいまでも残ってるし、ホンダはどんなにエリートになっても本田宗一郎のイメージがある限り「おもしろかったよねぇ~」っていう感じしますね。アップルの中にもあるし。

――たとえば”ご飯食べる”と言うのと”美味しく食べる”と言うのでは意味が全然変わっちゃうじゃないですか。糸井さんって、「ほらおいsくたべたら楽しいよね」みたいなコトをみんなに、自分で体験して示してくれているのかなーと。で、そういう人の遊びってどうなってるのかなぁ、って思って。

糸井 結局はね、遊びかどうかってルールの問題なんですよ。ルールっていうと制約とか規則っていうふうに思いがちなんだけど、そういうんじゃなくって。たとえばね、ただ「ブラブラしてください」って言われると困るじゃないですか。で、飽きますよね、ブラブラしてるってことに。だけど、ブラブラするって中に、ブラブラしてないっていうのと対比してのルールがあるんですよ。ブラブラしてるときに急に「先日の手形の決済ですが」って言ったら、いけないですよね。それがじつはルールなんですよ。

――うーん。

糸井 何がルールかっていうのがまずあって、そのルールに退屈してきたときに次のルールを足したり、前のルールをやめたりしてくと、遊びになるんですね。だからご飯食べているときに黙って食べるっていうの、これはこれでルールだけれど、しゃべって食うっていうのもルールで、どっちかに決めましょうっていうとつまんない。でも、意識的に「絶対しゃべっちゃいけないんだよね」って最初にあえて決めれば、笑っちゃうよね、みんな飯食いながら。それだけでルールができるでしょう。システムなんですよやっぱりね。興味があるのはそこに運の要素とか、風向きというか、偶然がどのくらいの分量入っているかっていう、ルールと偶然の対比がおもしろさのバランスなんですよね。そこんところわかる人は、遊びが楽しいんですよ。

――いわゆるビデオゲームて、なんだかんだ言ってもふつうの人にとっては暇つぶしに過ぎないことが多いですよね。”暇つぶし”と”遊び”ってなんかしら違いがあると思うんですが?

糸井 ああ、そうですね。ありますね。おそらく”暇つぶし”って慰めなんだと思うんですよ。その、足らないものを入れるか、疲れを癒すか、そのやっぱり慰安なんだと思うんですね。慰安はくり返せないんですよ。バージョンアップもないし。もっともっと慰安されたいと思ったときは麻薬に行くでしょうね。麻薬か自殺か、それから、中国の桃源郷みたいな、性の奥義みたいな方向へいっちゃう。とにかく、「もっと」というのがどっか外部にあると思っているときは、どこまでいっても慰安なんだと思うんです。外部があるわけじゃないんだって気がついたとき、はじめて心の中の青い鳥が見えてくる。そのときに遊びがスタートするんじゃないかと思うんですね。「なんかうまいのないの?」って探し歩いたって、全部は探せないし、永遠に見つからない。何が一番うまいかってのは概念的にある順番だけなんですね、だから一番なんか決めらんない。食い物っていうのは前々からあるんだから、それに順番つけるっていうのは、単に概念としての数字のすごさにしか過ぎないわけです。それは不幸なんですね。だから断食して、うまいもん食ったほうが本当は正しいんです。

――うん。

糸井 かと言って遊びを義務にしちゃうとゲームが固定しちゃうんで、楽しくなくなるわけですよ。だから慰安もあるし、プレイもあるっていうのは、両方を行ったり来たり行ったり来たりするんじゃないですかね。たとえば、ウチなんかでも、社員の子たちにぼくは平気でバカ! って怒鳴ってるし、でも、無条件に誉めるし、決まってないんですよ。お天気屋だって言われるかもしれない。でもべつにどれも本気じゃないんですよ。そんなに真剣に怒ったり真剣にほめたりするほど、深い関係なんかありゃしない(笑)。自分とのあいだにもないんだから。それは親子でもそうだし。その、関係の濃さみたいなものを頼りにしすぎるところに、つまんなさが生まれてくる。恋人どうしでも、いつでもお互いの顔をジッと見つめ合っているような時期あるじゃないですか。「おあえいつになったら寝るんだよ」(笑)みたいな、ね。で、そのうちやめますよね。でやめるんだったらやめるってわかってないと、見つめ合ってられなくなる。ただ、退屈している人って、みんなそこをサボってるんですよ。

――暇つぶしってどこまで行ってもネガティブなままだし。遊びはもっとポジティブな感じがあるけど、暇つぶしだけの人も多いですよね。で、そんなのは遊びって呼べないんじゃないかなって思うんですよね。

糸井 都会をコンクリートのジャングルっていう古い言いかたがありますね。ここがジャングルだと思うと、ボクらが仕事するときって、いわば、動物を仕留めに行ったり、木の実を採りに行ったり、そういうことをしているのと同じだと思うんですよね。暇つぶしでやっている限りは、落ちた実を拾うことしかできないんで、食べ終わったらなくなっちゃうんですよね。でも、もっと遠くに行けば木の実があるぞって思ったら、それはじつは楽しみでもあり、仕事でもありますよね。

――はい。

糸井 高いところの木の実は採れないからいままでオレたちが飢えてたんだと思ったら、高いところに登れる人になるか、登る方法を考えるか、登れる人と組むか、いろいろな方法がありますよね。あるいは、木のてっぺんになんとか縄をかけて、弓みたいに引っぱって低くするとか、木を切り倒すとか、方法はいっぱいあるわけです。それが同じことで毎日ご飯食べているっていう人たちは、本当は向いてないんだと思うんですね。もともとそういう動物じゃないんだとボクは思うんですよ。だから、「毎日同じだね」って言っている人はおいしくないし、ゴハンも手に入んないですね。かといってガツガツ遠くまで出かけて行ったって手に入りゃしないもんなんで、そこは賭博の要素が入るんですよね。これはこれでまたおもしろくて、『ほぼ日』なんてのは賭博としては、完全に資金尽きているわけですよ。だけれど、こっからどうしたら逆転できるだろうっていうか、人気があったって食えない現実もある。本なんかは大っきな会社が出していたりすると、ほかの部署が稼いでいるから、その本が作れるし、出せるっていうふうに助け合ってやってますね。それがフリーでやってるときはもっとシビアになるから、やめるのか続けるのかっていうことで、つぎのレースを買うか買わないかっていう賭博をするわけです。そこにはホント、ボクなんかの持ってる、モノをおもしろくする才能とはちがう種類の才能がいるんですよ。そこがいまの僕の課題ですね。で、よその人のことについてはできるんですよ。「こうしたほうがいい」ってのは。自分のことになると、ソク遊びたいっていうか、いま進んでいることの方がおもしろいもんだから、ついついそっちに行っちゃって、システムをいじるようなことはすっごいやりづらいですね、営業だとかね。『信長の野望』でたとえると、ずぅーっと訓練している人みたいになっちゃいかねないんですよね(笑)。

――ゲームに関してずっと任天堂と組んでらっしゃいますよね。最初がなにがきっかけだったんですか。

糸井 最初はね、大阪の電通でキンチョールのCMとかやっている堀井(博次)さんっていうおもしろいヒトがいまして、その人が、任天堂で『中山美穂のときめきハイスクール』っていうのがあったんですけれど。あれでNTTと組んでなんかやりたいっていう企画があって、そのパブリシティー戦略みたいなことで助言が欲しいって話があったんですよ。その頃ぼくはもうファミコンが好きでしたから、一度会ってみたらどうだって言われてね。あとファミコンがすっごい流行っているときに、テレビなんかで「けしからん!」みたいな風潮があったんですよ。でね、テレビの取材で「何言ってんだ」って答えたことがあるんですよ。大人がマンガ読んでるってのに怒ってた時代もあったけど、日本の文化で海外に比べて抜きんでてるのってマンガしかないじゃない。それと同じように、対米輸出できるソフトって、ゲームしかないですよね。で、ほかの人たちがものすごく苦労しているところをゲームは楽々とすり抜けて海外で評価されてる。海外では当たり前のように宮本茂って人を知ってたりする。そういういの、なんで邪魔するんだって思ってたんで、それを発言したことがあったんですよ。それをたまたま任天堂の山内社長が「この人はええことを言うやないか!! そうなんや!!」って。

――そんなことがあったんですか(笑)。

糸井 っていうのも、どうもあったらしいんです。その時は山内社長にはお会いしてなかったんだけれど、今西(紘史)さんってあの、なぜかコワイっていわれてた内部の人たちとお会いして、とてもおもしろかったんですよ。で、そのときは『MOTHER』の企画書もってったんですよね。メモみたいなもんでしたけれどね。それがきっかけですね。

――どんな企画書だったんですか?

糸井 ノートに3~4枚鉛筆書きで、現代劇のRPGで超能力で戦う。敵はこんなヤツで、こんな展開がっていうようなことを書いて、どうですかねって持ってったんですけど……。宮本(茂)さんに、「あー、ええんですけどねー、これを実際作ってからが商品なんですよねー」って言われて。どんなチームと、どのくらい入れ込んでやってくれるのかってのが見えないと、ここで「いいですね」って言っちゃうわけにはいかないんだと。少し考えればあたりまえのことですよね。

――うーん。

糸井 よく企画書とか送ってくる人いるじゃないですか。で、「プログラマーいるんですか?」ってな話ですよ。僕にはそんなもんいないし。だったら、それは商品になんないわけですよ。で、ボクは泣きそうになって、新幹線で涙こぼれたんですよ。その、悲しかったんですよ。オレは甘かった、と。そしたら任天堂から、「糸井さんが本気でおやりになるんだったら、ゲームは作りながら育てていく要素もいっぱいあるから、チーム作りますけど」って言われて、ありがたいなと思って「やりますやります」って言って始まったんですね。

――実際に1989年に『MOTHER』を作ってみて、どうでしたか?

糸井 いやあ、『1』のほうが『2』よりは、入れ込みかたというか、仕事量は少なかったと思いますね。それはできることが限られてたせいもあるけど、いわゆる、ダイス振ってやるロールプレイングゲームの電子版として作れましたからね。あの当時は。だから、その部分がちゃんとできてれば、あとは言葉のやりとりでなんとかなったんだけど、最近のゲームはまた違う展開になりましたから。作ってるときは、もちろん大変でしたよ。ソフトハウスが千葉県の市川にあったんですよ。そこに夜中に通ってたんで、つらかったですねぇー。でもまぁ、『MOTHER』作った経験があったからね、テレビゲームの遊びかたもいっぱい覚えたし。あってよかったんですよね。

――ゲームってすごく制作期間が長いじゃないですか。先日、某社で、まだ全然名前も出てないソフトなんですが、3年間かかってようやく日の目を見るってゲームがあったんです。途中で制作資金も打ち切られて、みんな手弁当でやってたじきもあったという。何年もかけてひとつのモノをつくり出す苦労って、アタマではわかるような気がするんだけれどもそんなのは想像でしかない……。

糸井 そうですねー。

――いろんな想いが、すごいんだろうなぁーって。

糸井 きついもんですよー(笑)。田尻クンだって最初のゲームのときは自分がバイトしてパン買ってきてプログラマーに食わして、みたいな。それで作りましたよね。そのあと、『ポケモン』にしたって同じですよね。ほかのゲームでなんとかメシだけは食えるようにしといて、作ったんですよ。やっぱり、これだけはやりたいんだっていう情熱があったから、彼が育っていったわけで、そういう気持ちがないと、作り通せないでしょうねー。そこんとこは、いいこととはかぎらないんですけれどね。本当はそうじゃない環境にもっていきたいんですよ。半年で3本できるとか、3人で半年でできるくらいに。僕のイメージの理想ですけどね。

――遊び手の立場で言えば、時間をかけた超大作のドカーンってのもやりたいし、でももっと手軽な、たとえばシェアウェア的なものが出れば、それはゲームっていうのは新しい遊びだなーって思うかもしれない。64DDに期待してるとこでもあるんですけれども。

糸井 うーん。それが段々とこう、混じりあってきてるんじゃないですかねー。たとえば、最近発売されゲームで、ギター弾けるっていうのあるじゃないですか。あれ、6~5年前に作ろうと思ってたんですよ。あれをシューティングゲームにしようと思った。シューティングゲームでギターサウンドを楽しむってカタチで、作りかけたんだけど、ほかのこととのバランスで、頓挫しちゃったんですね。でも、もっとツールが簡単で、誰かひとりでコツコツとできたら、「ここまでできたんだ。あとはみんなでワッと作りましょう」ってことができると思うんで。会社が大きくなれば、こういうこといろいろできるんですねぇ。『MOTHER』の中にも似た遊びの要素って入れてるんですけれどもね。結局ひとつのゲームのアイデアをね、『MOTHER』に入れちゃったってカンジですね。

――いま、従来のやりかただとワンアイデアではひとつのゲームが成り立たないからというところが……。

糸井 それはねぇ、逆にそうとも限らなくなりましたね。でも買うヒトは5000円出すわけですからねぇ。秋元きつねクンというコとこのまえ会ったんだけど、彼もゲーム作ってるつもりじゃなかったんですって。2コマアニメを作ってて、集めてみたらゲームになるじゃないかということで出したんで、制作期間がない。元々あったモノをまとめただけ。それって、新鮮でしたよね。こういうカードがあるのを、こんなまとめかたしたらゲームになるじゃないかってことですよね。頑張ってね、って気持ちになりますよねぇ。

――なんでもマニアってそうですけど、排他的な傾向がありますよね。「もっとほかにもおもしろいものがあるよなって認めりゃいいのに」って思うんです。ゲームファンにも感じることがあるんですが、どうしても閉鎖的になっちゃう部分が否定できない。

糸井 認めちゃうとほかの世界が入ってくるから、自分の世界が揺らぐんですよね。たとえば、ディズニーランドの中っていうのは、あれはゲームシステムでできるわけで、着ぐるみのミッキーは同時にふたり現れないってルールがありますよね。で、大きい着ぐるみで生きてるミッキーっていうのは、人形じゃいないことになってますよね。それも認め合う世界ですね。でもお客のフリしてキティちゃんがやってきて、目の前で頭をはずしたりはめたりしたら、世界壊れますよね。でも、子供は大喜びすると思うんですよ。

――(笑)。

糸井 ディズニーランドにキティちゃんがいて、スポスポはめたりはずしたりしてるわけよ。そっちはそっちで絶対ウケると思うんだけど、世界壊れるんですよね。やっぱりディズニーワールドに入っちゃいけないですね。ぼくは、あえてそこにキティちゃんを入れ込んだりしてるんですけどね。

――入っちゃいけなくて取り押さえられているキティちゃんも楽しいですよね(笑)。

糸井 それもおもしろいですよねー。でね、システムがあるから壊せるわけです。ディズニーのシステムはそれだけやっぱり完成度高いんですよ。逆にサンリオ・ピューロランドにミッキーが行っても「ようこそ」ってなっちゃう気がする。

――なるほど。

糸井 だからゲームファンの人たちも、ゲームファンのワールドがあって、なんか違うことをやって壊されたくないんですよね。小さいときからいつまでも自分の家のそばにあった欅のはあってほしいしとかさ。でも、物事っていうのは流れなんですよね。その流れるのがイヤなんでしょうね。不安定な感じが。でもホントはぼくら旅芸人みたいなもんだから、不安定なのがあたりまえですよね。そこで楽しめるはずだと思うんですけどね。不安定さみたいなものをね。






1999年7月29日麻布十番にて収録
構成:編集部
インタビュアー/編集部 田原誠司、堤俊浩

月刊ファミ通64+(プラス)1999年10月(8/21発売)号(アスキー)より

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