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今回のインタビュー記事はいよいよThe 64DREAMからです。
1996年11月号(創刊号)より。
今読むと泣けてくるかもしれません(^^)。























創刊号特別企画ドリームインタビュー
糸井重里さん
MOTHER3について大いに語る!


あの”どせいさん”や”ポーキー”が帰ってくる!
話題を呼んだ「MOTHER2」の発売からちょうど2年。
釣りに首ったけのように見えるイトイさんも、
実はしっかり「3」の構想をすすめていたのだった。




たいとるにこめられたおもい

そもそも『MOTHER』というタイトルには
一体どういう意味がこめられているんでしょうか?


糸井重里さん(以下、糸井さん) 今のゲームって非常に父性的なんですよ。父親の罠を息子が攻略していくみたいなね。だから母性的な匂いのするものを作りたかったんです。例えば、最初に円盤が出てくるけど、それはマザーシップだし、お母さんも出てくる。そんな母性(マザー)的な要素を入れたかった。それに僕たちって母親が作った人間なんです。父親が作った人間ってすごく少ないと思いますよ。


シリーズを通してのテーマとかは?

糸井さん ないない(笑)。テーマでゲームを作ってるようじゃダメですよ、遊びなんだから。例えば、たまたまボールが落ちていた。そのボールでなにして遊ぼうか。投げるヤツと受け取るヤツがいれば、キャッチボールが出来る。バットを持ったヤツがいれば、また違った遊びが出来る。だから、テーマを聞かれたら、そこにボールがあったから(笑)。でも、若い開発者がテーマがないといったらナメられちやうから、やっぱ言えないですよね。




どこまでできるの?

そして、いよいよ待望の『MOTHER3』
なんですけども、NINTENDO64ソフト
だから、やはり3Dになるんでしょうか?


糸井さん 本当は2Dで作るという考え方もあるんだけど、お客さんが3DじゃないとN64ソフトじゃないと思っちゃうのがくやしい。2Dで押し通すっていう考え方もあるんだけどね。


実際どのくらい
出来ているんですか?


糸井さん 細かいセリフはまだだけど、全体のシナリオは出来てますよ。マップも完成していて、あとは登場人物をどれだけイキイキと動かせるか。そういう細かいことをこれからやるんです。でも、ゲームは細部がすべてだからさ、その段階にいかない限り、開発度は60%も20%も同じなんですよね。


主人公は、やっぱり
いっしょなんですか?


糸井さん 主人公は違いますね。世界観も変えちゃうんでね、全然。やっぱり期待を裏切るのが前提だからね。それに構想は『MOTHER2』からで、早く『3』がやりたかったんですよ。まず探偵もののハードボイルド小説をゲームにしたいって思って、それにもう一つアイデアがあって、この2つを重ねちゃうと『3』になる。で、『MOTHER2』作ってて忙しい最中にゲームデザイナーとかに夜中に電話して”こういうの考えたんだけど、どう思う”って言ったら”それどころじゃありません”って(笑)。


でも、世界観、
気になりますねぇ…。


糸井さん でも、言ったらしょうがないよね。絵が出たら一発でバレちゃうことだし…。




どせいさんはでるの?

『MOTHER2』のラストシーンで、
ポーキーが「see you again」
なんてことを言ってますけど、
ポーキーは出ないんですか?


糸井さん 出るよ。ポーキーいないとやっていけない人間になっちゃった、俺。ポーキーいての私(笑)。それに、やっぱ、どせいさんが好きだからね。どせいさんも『3』に出ますよ。出なきゃ、淋しいじゃないですか。開発チームでは、どせいさんって”バカさん”って呼んでるんだけど、どせいさんのアクションパズルゲームも作りたかったんですよ。


新しいシステムなども、
考えているんでしょうか?


糸井さん 戦闘シーンについては、まだ実験してますね。ドンデもないアイデアがあって、それだけで新しいゲームができそうな戦闘アイデアがあるんですよ。それがうまくできたら決まりでしょうね。それに、キャラクターデザインも作者が変わるからね。全然変わるでしょうね。




いつでるの?

本当に楽しみにしている人って
多いですよね、『MOTHER3』は。


糸井さん お客さまは、素敵な方だけだと思いますよ。4歳でも素敵な方はいるし(笑)。78歳でも素敵な方はいらっしゃる。やっぱり”マザー好きなんです”っていってくれる人と会うと、他の話も合いそうな気がするんですよ。そういう意味では、俺にとっては、素敵な方ですよね。


発売は来年の春くらいですか?(※1)

糸井さん それを言ったらまた嘘をついたとかなるでしょ(笑)。


では、『MOTHER3』を待っている
人たちにひと言
よろしくお願いします。


糸井さん すいません。もうちょっと待ってください。本でも読んでてください。本はいいよ。やっぱり読書は大事ですよ。だってさぁ、人がさぁ、精魂込めて書き出した、一生かけて考えてるようなことをさぁ、手に取って読めるんだもん。本ってスゴイよ。




にんてんどう64のなまえについて

NINTENDO64という名称は、
糸井さんが考えたとか。


糸井さん まぁ、いろんな名前の付けようがあるんですけど、固有名詞っぽくしたくなかったんですよね。意味的に。それに湾岸戦争で多国籍軍の司令官が”戦争は任天堂ではない”って言ったんですよ。実際あの戦争の時にゲームボーイずいぶん持ってったらしいですね。それで、任天堂っていう言葉が機械の名前として使われてるっていうのを改めて知って、スゴイなって。だから、なまじ未来がどうだとか、次世代がどうだとかっていうようなイメージつけるより、正面から寄り切りみたいな名前ないかなと思って付けたんです。それに、車の名前がさぁ、サルーンがどうだとか、いろいろ言っているうちにわけわかんなくなったじゃないですか。スーパーエクセレントサルーンとか。あれって見苦しいですよね。だからいちばんオーソドックスな名前をベースに作っちゃった。でも、この変哲のなさは勇気いりましたよ(笑)。あまりにも何も考えてない風な名前なんで、ギャラの取りようが難しかったです(笑)。




ぼくはしんせきのおじさん

任天堂では、広告の仕事も
されてますけど、
やはり愛着もあるんでしょうね。


糸井さん なんていうか、親戚みたいな会社なんですよ。京都にあるがゆえの家族みたいな会社で、僕は東京にいる親戚のオヤジみたいなもんなんです。だって「あっ、糸井さん来はったんかいな」って出てきてくれる社長って、任天堂の社長だけですよ。だから、付き合いかたは非常に変わってますね。でも、NINTENDO64の広告は、俺がもっと変な案を考えて落ちたんですよ(※2)。だから、社長もただ義理では動いてない(笑)。




さんでぃすてぃっくはおもしろい

3Dスティックはどうでした?

糸井さん あれを使えるゲームを考えてるんですわ。まぁ、先の話だからあれだけど、いままでできなかった発想をできると思ったら、めっちゃくちゃ嬉しいですよね。それに、まったく秘密でNINTENDO64のゲーム作ってますからね(※3)。まぁ、3Dスティックは気持ちの分量が、指先にちゃんと伝わっていくなんてスゴイですよ。だから今、スーパーファミコンやってて、カリカリしてるもん(※4)。どうしてアナログスティックじゃないんだよって(笑)。


もう『スーパーマリオ64』は
遊びました?


糸井さん やっぱりアクションゲームは難しいね。僕は全然そんなに上手じゃないから、最後までいったのは『スーパーマリオワールド』だけ。でもキョンキョン夫妻は、渡してから一週間で40コくらい星取っていたな。それにお客さんとして純粋に喜べないんですよね。なまじ作っている側に近いとこにいるもんだから、ここがスゲェなってところを探したくなっちゃう。でもなぁ、うしろに宮本さんのうすら笑いがよく見えますよね(笑)。
















今回はちょっとだけ管理人が注釈を入れてみます。

(※1)ここで編集者の方が質問している「来年の春」っていうのは
1997年の春ってことなんですよ。驚きますよね。
そんなに早くできるわけないじゃんって(^^;)。
でも、この当時は本当にそんな雰囲気がありました。
で、実際に97年春になった時に、全然出そうな雰囲気じゃなかったので
「こりゃ、MOTHER2以上の長期戦を覚悟しておいた方がいいかも」
なんて心に誓ったのでした。
でも、そんな悪い予想がここまで当たってしまうとは思ってませんでした…。

(※2)この変な案ってヤツ、気になるんですよね~。
どんなだったんだろう。結局64のCMってすごく平凡で、
このCMから任天堂CMの批判って高まっていったですよね。
だから余計糸井さんの案ってヤツが気になるんですよね。
うーん、知りたい!

(※3)これは、たぶんキャベツのことですよね。
ふー(^^;)。

(※4)これは「糸井重里のバス釣りNo.1」のことですね。
このインタビューの翌年になる97年2月に発売されました。

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