中野裕太が見た世界

MEMOTV

■最近「熱血!平成教育学院」に中野裕太っていう若手俳優がよく出ていて、とにかく頭がいいという触れ込みなんですよね。だけど、番組上の成績はいつもぱっとせず、ただ単に口だけのウザいキャラっていう、バラエティー番組では決しておいしいとも言えないポジションが定着しつつある人なんですが、先日、水道橋博士がホストを務める「博士の異常な鼎談」っていう番組に出演していたんですね(2009.7.16、23放送分)。

博士も「熱血~」で共演して興味を持ったらしいんですが、いつも博士が興味を持つ人物って、まあ一目見てキワモノって分かる人ばっかりの中、見た目的にはマトモな人に注目するって珍しいなぁなんて思って見ていたんですが、「確かにこれは博士が食いつくのもわかる!」っていう、独自のワールドを披露していて面白かったです。

せっかくなので、その特に面白かった部分、中学の時に哲学に出会い、そしてなぜ役者をやっていこうと思ったかについてのトークを久々にがっつり書き起こしてみました(たぶん探せば動画も上がってるとは思うんですけど、やはり自分メモ的に考えると書き起こしたくなってきます)。その前に基本情報として中野裕太の天才エピソードの一部をざっくり箇条書き。

・5ヶ国語をしゃべる
・共感覚(文字や音に色を感じたりする)を持つ
・4歳で算数をはじめて、6歳で方程式を解く
・3歳の時に親に「精神の自由がない」と嘆いた
・スポーツも万能で、空手の有段者でもある

主な聞き役は博士とともにホスト役を務める宮崎哲弥さんです。ほぼしゃべったそのままですが部分的に要約している箇所もあります。
 

中野「なんで役者をベースにやっていきたいかって言うと、
僕に大学時代に生きる喜びを再確認させてくれたのが
役者とか、芝居とか、で、あといちばんなんで興味持ったかというと
アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』の本に書かれている
『不条理な生を謳歌する、より多く生きる人間像としての俳優』っていうあり方に
ホントに感銘を受けて、ニーチェの超人として生きるとかいうよりも、
よりよく生きるんじゃなくて、そうだ、より多く生きたいって思って。
それで僕けっこう器用貧乏って言われちゃうんですよ。
ただそれって、僕が興味がないことに対してはそれ以上突っ込まないだけで、
経験のひとつとしてやりたいっていう関心があるレベルでやってるっていう」
 
 
宮崎「そうやって役者をやって、
多数的な生を生きていくことの果てに何があると思う?」 
 
中野「何もない、何もない」
 
宮崎「再び空に戻る?」 
 
中野「そうです。もちろん。
で、僕…、そうなんですよ、そこすごい面白いっすねそこは。
今の着眼点は素晴らしい。空に帰る。いやホントです。
宇宙ってまず、宇宙の外には無が揺らいでるって量子論学的に
言われているじゃないですか。なんで宇宙っていっぱいあるんですよ。
で、量子論学的には…、確か量子論なんですけど、
無の揺らぎから水泡が生まれて、それが弾けては消え弾けては消え…」
 
 
宮崎「バブル宇宙論」
 
中野「そうです。そういうのがある。そのうちのひとつが
熱だの光だのを持ってビッグバンでこの宇宙になったと言われているんです。
で、本来はこの宇宙って収束して無に戻るはずなんですけど、
この本(中野が学生時代に絵や詩を書き綴っていたノート)の中にも
書いているんですけど、人間の人生も同じものだと気づいて、
『水の波紋論』というのを僕自分で作ったんですよ。
水の波紋って例えばこういうのにポンと石を落としたりすると
同心円状で波紋が広がって、
また同心円状で収束して何もなかったかのようになるじゃないですか」

 
博士「なるほど」 
 
中野「で、それっていうのが人間そのものだと思って。
その波紋の彩り方、広がり方っていうのに個性が出てくるんだろうと思って。
でも、見方を変えると、波紋が広がったまんま消えてくっていう
見方もできるじゃないですか」
 
 
博士「うん」 
 
中野「で、そこに可能性を見出したっていうか。
どんどんどんどん広げてって、どんどんどんどんより多く生きて、
それで、そのまんま収束して小っちゃくなって死ぬっていうよりは、
そのまんまこう、(広がって)いければいいんじゃないかって」
 
宮崎「でもさ、そのイメージは分かるんだけど、
特異点としての自己っていうのは常にあるわけですよね。
この私っていうのは常に、どんな生を生きていたとしても
この私じゃないと意味がないわけでしょ。その生を生きるのは」
 
中野「そうですね」 
 
宮崎「この私っていう特異点にはどういう…」 
 
中野「でもそれは感覚的な部分で、ホントに感覚的な部分で、
それは根源的一者と僕、同一化することができるので
例えば芸術に触れてるときだったりとか、
で、それが生の喜びだったりするんです」
 
 
宮崎「じゃあこの私のそこには根源的一者があるわけ?」
 
中野「そうです」 
 
宮崎「ほぅ~」 
 
中野「その、そこの原体験とか、それの反省…
言えば、(ジョルジュ・)バタイユで言うエロティシズム、
バタイユで言うところの連続性に対する些細な記憶とか郷愁。
それに僕は気づいちゃったんですよ」

 
博士「…何言ってるかさっぱりわかんねぇよ!もうなんにもわかんねぇよ(笑)」 
 
中野「だから、要はそのニーチェで言うワーグナーの書簡って分かります?」 
 
宮崎「ええ、わかります」 
 
中野「あの、太陽に照らされた湖面がアポロであって、
だけどそれは恐ろしい深みなしには存在することはないって。
その深み自体が、湖の深さ自体が、見えない深さ自体がディオニュソス。
僕はそのディオニュソスに気づけたっていうか、
たまたまそこに自分の関心のベクトルを向けることができたけど、
でもいずれアポロのところに目を向けようと思ったらできるわけですよね。
で、そこのギリギリのラインを生きていくのがいちばん楽しいなぁと思って」
 
宮崎「ていうことはやっぱり死と隣り合わせに生きていくということであって」

中野「そうです」
 
宮崎「死という連続性を感じながら、連続性の波動を感じながら
生きていくというところに面白みがあるという…」
 
中野「で、僕が死へ傾注してたってのが大学時代です。
アルベール・カミュだったり、ニーチェだったりっていうのに出会って僕が
自分なりの研究を深めていった結果、
いきついたのはそこのギリギリな部分。幻想だったりとかって言う」

 
宮崎「なるほど。(博士の方を見ながら)十分面白い見せ物に
なったんじゃない? 今の対話は(笑)」
 
博士「ねぇ。いやいや、苫米地英人以来ですよ。
内容は分からないのに面白いっていう」 
 
(CM) 
 
中野「ホントに考えすぎると、シレーノスの神の神話は分かりますよね」 
 
宮崎「うん」 
 
中野「ギリシア、ペシミズムでも言うように、
人間って生きてきたこと自体が最悪のことだから、
今すぐやらなきゃいけないことは死ぬことで、
本来やらなきゃいけなかったことは生まれてこなかったことだっていうふうに
言ってるんですよ。ギリシアの神って。
そんなこと言ったら楽しくもないし、生きてる意味がないじゃないですか。
でもなんで波紋を広げていくことをやっているかと考えたときに
やっぱりアルベール・カミュの
『不条理な人生を生き抜くけどその姿が美しい』っていう、
より多く生きるっていう、そういう姿であったりするなっていうふうに感じれて」
 
宮崎「中野くん、やっぱり仏教やろう。君は絶対仏教哲学に…」 
 
博士「幸福の科学から立候補しよう!」 
 
宮崎「違う!違う!(笑)」 
 

途中のCMに入るまでの時間が5分くらいなんだけど、まずはこの部分を加工せずに放送したスタッフがすごいなぁ、さすがだなぁと。そして博士、ゴールデンのバラエティーではただのウザキャラだった中野くんの面白さをここまで引き出してしまうとは、やっぱり目の付け所が違うなぁと感服しましたです。今後も博士&中野のコンビにはちょっと注目かもしれません。

Posted by CHARA PIT