#12 どっちが高い? 2002.6.28 |
●なんか、このページって僕の「いい子」っぽい話が多い気がするんだけど、
僕は昔から自分だけは「いい子」で、全部まわりが間違ってると
常々思っているようなちょっとタチの悪いやつなんで、これはしょうがないです(^^;)。
で、まあ、今回もそんな話なんですが、
僕は保育園時代、クラスでいちばん背が高かったんですよ。
年長クラスになると、事実上、保育園にいる園児の中では一番背が高いことになりますよね。
ところが、そんな僕に戦いを挑んできたチャレンジャーが現れました。
それは年中クラスのみっちゃんでした。
みっちゃんはたしかに、年中クラスの中ではものすごく背が高いのでした。
そこで、2人が背中合わせになって身長を比べてみることになったんですね。
しかし、ほとんど同じで、こっちが高い、いやあっちが高いと言い争いになりそうな雰囲気になってきました。
下手をすると年長クラスVS年中クラスの戦争ですよ。
僕は、自分の身長が言い争いのもとになるのなんてイヤだったし、
聞いてみると、みっちゃんもどちらの背が高いかなんてどうでもいいみたいなんですよ。
どうもこの話も、みっちゃんのともだちのけいちゃんという人が吹っ掛けたようでした。
そこで僕は、「あー、自分のほうが低いや」と自分から認めて、
このくだらない論争に終止符を打つことにしたのでした。
それからずっとして、お互い小学生になった頃みっちゃんに会ってみたら、
僕よりも明らかに背が高くなっていました。
#11 荒療治 2002.6.18 |
▲1つ年下の子で、なんだかすごく勝ち気で、強情なタイプの子がいて、
いつもつっかかってくるようなことを言うので、ちょっと苦手な子がいたんだけど、
ある日、歯が虫歯になったのか、泣きながら片方のほっぺたを押さえて
職員室に駆け込んで行ったんですよね。
あんな子でも泣く時があるんだなぁ、なんて思いながら見てたんだけど。
で、しばらくして職員室から出てくると、その子は歯に塩を思いっきり塗りこまれて出てきました。
さっきよりも泣き方が激しくなっていました(^^;)。
#10 休園日のオオカミ園児 2002.6.6 |
▲今日は平日だけど休園日なのでお休みでした。
ところが、それを母に言ってもまったく信じてもらえなかったのでした。
たしかに、以前「今日は保育園はお休みだ」と、嘘を言って
ズル休みしようとしたことはあったけど、今日は嘘じゃなくて、
ホントのホントにお休みだったのです。
必死の必死、決死で訴える僕をよそに、母は「そんなはずない」と一蹴、
勝手に支度を始め、僕に制服を着せると「送ってあげるから」と仕方なさそうに言い、
僕を原付きの後ろに乗せました。
保育園に到着すると、案の定、誰もいませんでした。
いつもある先生の車も止まってません。
「ほらー、だから休みだっていったでしょ!!」
と、怒り口調で言う反面、これでやっと無実が判明したと、ほっと胸を撫で下ろした僕に向かって、
母は信じられない一言を口にしました。
「今日はいちばんだねー、行ってらっしゃい」
母は僕を原付きから降ろすと、1人でブロローンと帰ってしまいました。
あんなに朝、もめにもめまくって、いくら原付きで送ってもらったと言っても、
どう考えてもいちばんになれるような時間じゃありません。
普通ならとっくに始まってる時間です。
そのくらい母にもわかるような気がするんですが、
なんで母は今日に限って、思いっきり理解力が飛んじゃってるんでしょうか。
教室に行ってみても当たり前ですが誰もいません。
どうやら僕には、さっき原付きで一瞬にして送ってもらった、1キロ離れた僕の家までの道のりを、
今度は自分の足を使ってとぼとぼ歩いて帰るしか、方法は残されていないようでした。
いつも往復している道ですが、この時ほど長く思えた時はありませんでした。
しかも、この道中、気が抜けません。
もし、知っている人にでもばったり出くわしちゃった日には、
「休園日のことをすっかり忘れてて、うっかり通園しちゃった園児」という
屈辱の烙印を押されてしまうことは明白です。
びくびくしながら帰っていると、道沿いに住む1つ上の年長組の子供がいるおばさんが、
おとなしく家にいればいいものを、ひょっこり出てきたかと思うと、
「保育園行ったの? 今日は休園日なのよ~」
などという、わかりきったことを能天気に説明されて、泣きそうになりました(^^;)。
それからしばらく行くと、今度は近所に住んでる年長組の子と出くわして、
やはり「今日は休園日なのに」と言われて、
今度は溜まりかねて泣いてしまいました。
すると、何か深い事情があると思ったその子は、どうしたんだと聞いてくれて、
僕はこれまでのいきさつを泣きながら話したのでした。
事情を理解してくれたその子は僕に、「こっちから帰らんかい」と、
裏道を教えてくれました。たしかに、人の目に付きやすい表道より、
ほとんど誰も通らない裏道の方が、この先誰にも出会わない確率は高そうです。
そこから僕は裏道を通って帰ることにしました。
その裏道はちょうど僕の家の裏側のところまで続いています。
僕は、家には玄関からは入らずに、裏口から入ろうと思いました。
裏口付近ではちょうど母が洗濯をしているようだったからです。
僕は唐突に裏口から顔を出し、「ばあー」と言いました。
母は驚いた表情のまま「どしたん!?」と言いました。
当然、僕は言いましたよ。
「だから今日は休園日なんだって!」
#09 パンツ、自分ではくよ 2002.6.3 |
▲その日の朝は同じ保育園に通っている女の子2人が
通園途中に僕のうちにやってきて、
一緒に保育園に行こうということだったんだけど、
僕はまだ仕度ができてなかったので、上がってもらって
待ってもらうことにしました。
そして僕は母に手伝ってもらって、
服を着たりいろいろ準備をしていました。
その間女の子2人は家の中をうろちょろしてたようで、
なななんと、ちょうどパンツを母に履かせてもらってる時に
僕たちがいた部屋に入ってきてしまって、
ちょうどその瞬間を目撃されてしまったのでした!
それ以来、手伝ってもらわずにちゃんと自分で仕度するようになりました…(^^;)。
#08 おゆうぎかい 2002.6.1 |
●みんなで劇を披露する「おゆうぎかい」というイベントが年に1回あったと思うんだけど、
そこで年長クラスが毎年やっている劇で、「ありんこ」を題材にしたものがありました。
どんな内容だったのかまでは思い出せないのですが、
それを年中の時に見たときから、あの劇をやってみたい!
と、思っていたのでした。
そして、1年後、念願の「ありんこ」の劇をできて嬉しかったことを覚えています。
でも、(繰り返しになりますが)どんな内容だったのかは覚えてないんですよね~。
なんだか残念。
で、この劇がもとで、今でもありんこが好きだったりします。
でも好きと言っても、庭でありんこを見かけたら、つぶしてしまいたくなったり、
巣をふさいでしまいたくなったりするんですけど(^^;)。
わけわかりませんね。
#07 矢印と目印 2002.5.31 |
●パブロ・ピカソは子供の頃、「うずまき」が好きで、
いつも紙や地面にうずまきばかり描いていたという逸話があるそうなんですが、
僕は、そんな感じで「矢印」を、ところ構わず書いていたようです。
そんな矢印好きの僕が、今日も教室のいすに座ってぼけーっとしていると、
目の前でこんな光景が展開されていました。
それは、クラスメイト数人が黒板に地図のようなものを書いているところでした。
宝の地図か何かだったんでしょうか。
ひととおり、地図を書いたあとに、クラスメイトの1人がこう言いました。
「じゃあ、ここに目印を書こう」と。
しかし、その子が2つ、3つ、4つと地図上の道に沿って書いていったものは、
紛れもなく、「目印」ではなくて「矢印」だったのです!
ところがそのグループにいた子達は誰もその間違いを指摘しません。
普段なら、自分とは関係のないところで行われているものに
急に首を突っ込むなんていう、でしゃばったことはしない僕でしたが、
この時ばかりはいても立ってもいられなくなり、
席を立ち、グループの前までつかつかと歩いて行くとこう言いました。
「それは目印じゃなくて矢印!」
きょとんとした表情のクラスメイトたちをよそに、
それだけ言い終わると僕はまた席に戻りました。
#06 みかん狩り 2002.5.29 |
■この日は、みかん狩りの日でした。
近くのみかん畑までみかんを取りに行くのです。
保育園から2列に並んで出かけます。
1列は男の子の列で、1列は女の子の列です。
なので、隣同士で男女の組みが出来上がります。
先生は「隣の人と手をつないで行きましょう」と言いました。
僕はとなりの女の子に手を差し出したのですが、
イヤっていう感じに、避けられてしまいました。
見ると、ほとんどの人たちが手をつないでいませんでした。
今はどうか知らないけど、その当時は
女の子と男の子ってあまり仲がよくなかったんですね。
手くらいつなげばいいのになぁと思いました。
みかんはたくさんとれました。
#05 紙芝居 2002.5.27 |
今日から少しタイトルが変わりました。いや、前のは仮タイトルだったのに
帰るのを忘れてたんですよ。
日記って言うと現在進行形っぽいのでちょっとあれかなと思ってね。
●で、今日は紙芝居の話です。
1日に1回だったか、それともたまにだったか忘れましたが、
先生が紙芝居を読んでくれる時間がありました。
僕はそれが大好きで、いつも真剣に見ていました。
特に好きなお話が一休さんのおはなしで、
和尚さんに内緒で水飴をなめると言うおはなしです(「ぶす」っていう話を元にしたやつですね)。
あとは、動く紙芝居と言うのもありました。
いろんなところにツマミがあって、それを動かすと絵が動くようになっているんですね。
先生が動かす前に、「ここにある!」なんて見つけたりして、楽しかったです。
#04 とびばこ 2002.5.26 |
●今日は「おゆうぎしつ」に集まりました。
そこには、3段のカラフルなとびばこがセットされていました。
どうやらこれを跳ぶようです。
なにやら先生が説明していましたが、
僕はまた別のことを考えていて、ちゃんと聞いていませんでした。
「はい、じゃあなべくんから」
するとなんと、先生が僕の名前を呼ぶじゃありませんか。
気がついてみると、僕は列の先頭だったのでした。
僕から順番にとびばこにチャレンジしないといけないようです。
とびばこなんて初めて跳びます。上手く跳べるんでしょうか。
でもちゃんと跳んでやるぞと心に誓い、とびばこに向かってダッシュしました。
しかし、僕は変なふうにとびばこと当たってしまったらしく、
そこには、バラバラになったとびばこと、ヘンなポーズでこけた僕がいました。
まるで漫画のようです。
もちろん爆笑です。
ぼくの番が終わって、みんなの様子を見てみると、
ジャンプしてとびばこの上に乗っかっているだけでした。
どうやら、先生は最初はとびばこに乗っかるだけと言っていたみたいです。
でも僕は、今度の自分の番で、ちゃんと跳ぶことができればかっこいいんじゃないだろうかと思いました。
そして、なぜか跳べる自信がありました。
実際に、次の番で跳べました。
どうやら僕はさっきの汚名を払拭することができたようでした。
…でも、昨日と今日のエピソードについて我ながら思うのは、
けっこう強いなと。今の僕が同じ状況になったら、一緒に笑ったり、
次跳んでやろうと思ったりするような余裕なんて、出てこないような気がするんだよねえ。
なんで、家族以外の集団に出てきて2年もたたないような子供(自分)が
そんなにしっかりと振る舞うことができたんだろうと思うとちょっと不思議です。
これが子供の強さってやつなのかなぁ。
#03 鼓笛隊 2002.5.25 |
●クラスで鼓笛隊を組むことになりました。
楽器の説明を受けたあとに、
何の楽器がいいか、先生がみんなに聞いていました。
ところが、僕は半分くらい楽器の説明を聞いていなかったのでした。
でも、楽器の中に、聞いたことのない名前があったことだけは覚えています。
一体どんな楽器なんだろう…。
僕の頭の中は、そのまだ見ぬ楽器のことでいっぱいです。
そんな折、先生に何の楽器がいいか聞かれると僕は、ついその楽器の名前を口にしていました。
「バトン!」
「なべくん、それは女の子だけよ~」と言う先生に続いて、あたりは爆笑の渦に。
(ハ、ハズ~)と、心は大赤面でしたが、その場ではみんなと一緒に笑うしかありませんでした。
ははは…。
#02 時計はいつ動く 2002.5.24 |
●前回はぼけーっとひらがなの表を見ていたと言う話でしたが、
もうひとつ、席に座ってぼけーっと見ていたものがあります。
それが時計なんですね。
時計の針は、見るたびに別の場所を指しているのに、
動いているところを見たところがないと。
ちょっとずつ動いているということも頭では理解していたのかもしれませんが、
ずっと見ていても、止まっているようにしか見えない、というか止まっているのです。
これはどう考えても、ちょっと目を離したすきに、グイーっと動いているに違いないのです。
というわけで、僕は時計がグイーっと動いている瞬間を見ようと
時計から目を離さずにいようと、じーっと見張っているんですが、
いつの間にか時計から目を離して違うことをしてしまっていて(たぶん見始めてから30秒くらいでこうなる)、
それで、もう帰るっていう頃になってやっと、「あ、時計!」と思い出し、
ふと見上げてみると、やっぱりぜんぜん違うところを指しているんですよ。
「今日も動いているところ、見れなかったー」と思って
また明日も、その次の日も、時計が動くところを見ようと
同じことをしばらく繰り返していました。
#01 おとなしい子供 2002.5.22 |
▲小さい頃、母親と2人で外に出かけたとすると、
道で会った近所の人とかに母は、
「おとなしい子でいいねー」と言われていました。
僕はその頃から人見知りが激しかったんですね。
実際にどのくらいおとなしかったかと言うと、
初めて会う人の前では一言も口を聞かない、というレベルです。
何か聞かれても言葉で返事はしなかったし(かろうじて頷いたり、首を振ったりくらいはする)、
挨拶もしませんでした。
本当なら、親が挨拶くらいさせるものですが、
僕の母親もどちらかと言うと人付き合いが苦手っぽいタイプの人で、
しかも若くして結婚したからか、子育てに関しても無頓着で、
そういうしつけを受けたと言う記憶がないんですね。
ついでに言うと怒られた、という記憶もほとんどありません。
まあ、その時は特に人に迷惑をかけるようなこともなかったので、
それでよかったのかもしれませんが。
で、人から母が、僕のことを「おとなしくていい」と言う評価を受けていることについて、
子供心に、これはいいことなのかな、と受け止めて、
じゃあ、これからもおとなしくしていよう、と思った気がします。
でも、そんなことを思わなくても、元々おとなしいんですけどね。
僕の通っていた保育園は
年長クラスが「ほしぐみ」、年中が「さくらぐみ」、年少が「すみれぐみ」、
そしてその下に「ももぐみ」っていう4つのクラスがあったんだけど、
僕はさくらぐみ~ほしぐみと、2年間通いました。
20人程いたクラスの半分くらいはすみれぐみやその前から
保育園に通っていた子で、その子たちは最初から仲がよかったわけなんだけど、
それでも、僕はすぐにみんなと仲良くなれた気がします
(このへんのことはほとんど何も覚えていないんだけど)。
僕の保育園はおんぼろな建物で、教室の中に放し飼いにしていたチャボが
勝手に入ってきたりと、何でもありな感じでした。
でも、2年目のほしぐみの夏に園の場所が移転して、
新築のきれいな建物になったのでした。
そのおかげで、僕が断片的に覚えている保育園の時の記憶が
さくらぐみの時のものなのか、ほしぐみのものなのか、
だいたいの区別をつけることができたりします。
で、これはボロい教室だったので、さくらぐみの時の記憶だと思うんだけど、
みんなとは仲が良かったと言っても、僕はやっぱり1人でいるのも好きだったみたいで、
休み時間になっても、ぼーっと、自分の席に座っていた記憶があるんですね。
教室の黒板の横に、ひらがなとカタカナの50音表が貼ってあって、
それをいつもぼけーっと見ていました。
おかげで、誰に教わったわけでもないのにひらがなとカタカナが書けるようになりました。
そして、文字っておもしろいなぁと思うようになり、
ほしぐみ時代には小学1年で習うような漢字のいくつかも
意味も分からず勝手に覚えてよく書いてました。
でも、そうやって覚えた文字は書き順がでたらめなんですね。
だから今でも「よ」とか「と」とかの書き順が逆になってしまってます。
小学生になった時に、国語の授業で習う漢字が
知っているものが多くて、けっこう楽だった感じも覚えています。
「島」という漢字を習った時には、「ああ、たぶんこれで勝手に覚えた漢字も最後かなぁ」と思い、
無性に寂しくなったり…。
それからは、反動が起こったのか極度の漢字嫌いになってしまい、
小4の時には漢字テストの点もクラスで最低レベルになってしまいました(^^;)。
でも、それも心理的なものが原因だったからか、
小5になると勝手に普通くらいの点に戻ったので、ひとまずほっと胸をなでおろしました。
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